醸造方法
亜硫酸塩無添加
ワイン情報
今回のシャトー・ルーランは、2020年ヴィンテージと2021年のワインをアッサンブラージュ(ブレンド)したというブノワらしい自由な発想のワイン。
この2つのヴィンテージは非常に対照的な年となっていて、暑く乾燥した2020年と、涼しいが湿度の高い夏であった2021年は、それぞれ凝縮したワインと軽やかで繊細なワインとなりました。
この2つのヴィンテージの美点を掛け合わせ、弱点を補い合うようにという意図でブレンドされました。
生産者情報(インポータ・造り手・問屋情報)
フィリップ ジャンボンの家に泊めてもらったとき、妻のカトリーヌが教えてくれた。
「ブノワは、きらびやかな成功を求めて生きているわけじゃないわ、豊かな自然に囲まれ、大好きな音楽に囲まれた暮らしを本当に愛して、多くを求めていないの。」
彼のワイン自体は、以前から何度か飲む機会があった。
いつもサンスフル(亜硫酸無添加)で仕上げていて、自然派ワインの最大の魅力だと思う「純粋さ」をいつだって感じさせてくれる、素朴で柔らかい味わいのワイン、そういう印象は抱いていた造り手だった。
まずは会いに行ってみよう。
思い立って向かったのは、ボジョレー地方と言ってもかなり南側で、むしろリヨンの街にほど近いヴィレフランシュ=シュール=ソーヌという街。
そこで昼食を一緒に食べた後、彼のセラーのあるラ・ヴァレンヌという村に向かうことになる。
いつものように「畑を見たい」と伝えると、「畑が色んな場所に点在しているから車で行くには不便でね」とキャンピングトレーラーを畑の真ん中に置いた彼の自宅に向かった。
事前にカトリーヌから、キャンピングトレーラーで暮らしているという話は聞いていたけど、いざ目の当たりにするとやっぱりすごいなと思ってしまう。
トレーラー内は、ベッドやシャワーやキッチン、暖炉も整備されていて、ミニマムに暮らすに必要なものは全て揃っていた。
「家を借りてもいいんだけれど、僕にはこれで十分だし、快適だし、環境も良いし、何より安いしね。」
そこで、ヘルメットと厚いジャケットを渡されて、ブノワが運転するバイクに乗り換える。
彼の背中にしがみつきながら出発し、畑ツアーが始まった。
ものすごい加速と大きくGを感じる減速を何度が繰り返しながら、いくつかの畑を巡った。
季節はまだ冬の名残があって春を迎えたばかりだったけど、畑に緑が絨毯のように広がりはじめていて、素直に気持ち良いと感じさせてくれる。
ブノワ・カミュの畑は、セラーのあるラ・ヴァレンヌを中心にいくつか点在していて、そのほとんどがガメイが植わっていて、ごく少ない面積の畑にシャルドネも植わっている。
限られたエリアに点在しているにもかからず、その畑が見せる表情は多様で、赤い砂質土壌から、かつて川だった名残が見られる研磨された丸石の区画、黄色い小石が多い区画など、その多様さがワインの表情の多様さを生んでいるという。
いくつかの区画のガメイは樹齢が非常に高く、80-100年ほどの畑もある。
高樹齢の区画は収穫量も少なく、平均的に20hl/haほどに抑えられ、高樹齢・低収量のガメイから生まれるワインには、複雑味と凝縮感が備わる。
こうして、いつも造り手を訪ねるときは畑を見たいと必ずお願いするが、実はその畑を見たからといってワインの品質や造り手の実力がわかるわけではない。
ただなぜか、どんな造り手もセラーで一緒に試飲している時よりも、一緒に畑を歩いているときのほうが幸せそうな顔をしている。
そんな顔見たくて「まずは畑に」とお願いしてしまう。
セラーでの試飲にうつると、その雑然とした空間の中で生まれるワインの奔放な味わいと、同時に備えている破綻のなさにただただ驚かされる。
とんでもなくアクセルを踏み込んでいて、それでいてきっちりとカーブを曲がりきるコントロール。
絶妙なタイミングで加速と減速を繰り返した結果生まれた…そんなスタイルのワインばかりだった。
ざっくりと番号だけがふられたセメントタンクのワインを順に試飲しながら、都度感想を求められる。
それでいて、こちらのワインの評価自体にはそこまでの関心がなさそうで、「美味しいと思ったらそれが君のためのものだよ」と言い、「僕と君とで感覚は違う、同じ人間でも昨日と今日でも違うんだから」とワインを感じるその瞬間にもライヴ感を大切にしているのだと感じた。
ブノワのワインは、原則全てサンスフル(亜硫酸無添加)で、自然派ワインらしい表情の豊かさがある。
タンク一つ一つ、ボトル1本1本ごとに表情が異なり、それはさながらライヴ音楽のようで、この躍動感こそが自然派ワインの最大の魅力だと思っている僕は、思わず微笑んでしまう。
と同時に、ワインに不安定なところが無いのに驚かされる。
この混沌としたセラーで、アグレッシヴな性格の彼が、完全にナチュラルな手法で手掛けるワインたちが、どれもきっちりと焦点が定まっていて破綻がない。
ワクワクさせてくれる奔放さや、ある種の危うさは感じられるにも関わらず、最後には調和がとれている。
自由さと緻密さが交錯する表現、それはさながらジャズにおける高度なインプロビゼーション(即興演奏)だと感じる。
音楽をこよなく愛するブノワは、試飲会にもギターやヴァイオリンを携えて登場する。
試飲会場で演奏する姿こそまだ見たことはないものの、試飲会がどこか間延びしてきたタイミングで、颯爽と音楽を奏ではじめる姿は、容易に想像できる。
「何か楽器をやってた?一緒に演奏する?」と誘われたりもしたけれど、20年近く楽器に触れてこなかった自分は怖気づいて、「練習しとくよ」と断ってしまった。
友だちに嘘はつきたくないから、本当に練習を始めようと心に誓う。
音楽と自然派ワインには通底するものがある。
特にジャズのライヴのような、その瞬間に生まれては、空気の中に溶け込んで消えていく音楽は、演奏者だけでなく聴衆の心身の状態もその完成度に影響する儚くもかけがえのないもの。
ジャズの世界には、interplay(インタープレイ)という言葉があって、そのものの意味としては「相互作用」や「交錯」という意味で、転じて「優れたプレイヤーたちが、互いに触発し合いながら、素晴らしいインプロビゼーション(即興演奏)を生み出すこと」を指す。
ブノワ・カミュは、自然、畑、土、ブドウ樹という優れた共演者たちと、最高のインタープレイを実現している。
でも、彼の曲が本当の意味で完成するのは、僕たち飲み手が彼に共鳴して、この演奏に加わるときかもしれない。
目の前のボトルを通じて。
(インポーター様資料より)