Suff[hic!] Rouge / スフィック・ルージュ 2020

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醸造方法

ビオロジックで栽培されたブドウを手摘みで収穫し、自然酵母のみで発酵。
厳密な濾過(ろか)や清澄も行わず、瓶詰め時に至るまで亜硫酸塩(酸化防止剤)も無添加で造られます。

ワイン情報

アルザス地方といえばその主流は白ワインで、割合としては9割にも及ぶとか。
その残り1割をになう赤ワインは、ピノ・ノワールを用いて造られます。
ドメーヌ・フィシュバックにとってのスタンダードワインと位置づけられたこのスフィック ルージュで用いられている品種ももちろんピノ・ノワールで、マセラシオン(果皮を果汁に浸漬する作業)の期間をやや短くし、フレッシュさと飲み心地の良さを引き出すようにしています。

2年目となる2020年は、淡い味わいであった2019年と比較するとより凝縮感を感じるバランスとなっていて、カシスのコンフィチュールを思わせる華やかな風味にスパイス、火山を思わせるスモーキーさがあり、いきいきとした躍動感のある果実味が楽しめます。
香ばしさがあるので、秋冬の季節には野鳥などのジビエ料理などと相性が良さそうです。
野鳥でなくても、香り高いキノコなどをバターで味付けしたソースを鶏もも肉のローストに添えたものなどと一緒に楽しむのも良いでしょう。

また、他の多くのドメーヌ・フィッシュバックのワインと同じく、抜栓後数日たってもバランスを崩すことなく安定した味わいを楽しませてくれます。

生産者情報(インポータ・造り手・問屋情報)

「待ち合わせは午後がいいな、その日はオーストリアでのスキーから帰ってくる日なんだ。」

初めての待ち合わせの日時をメールで打ち合わせした時に、ジャンから返ってきたメールを読んで、少し油断があったのは事実だ。
もちろん約束の時間に遅れないように、時間を計りながら余裕を持って向かったものの、はじめての訪問ということもあり、地図を睨みながらの移動となり、到着予定時刻が約束の時間ちょうどになりそうになってきた。
そして、その道すがらふと気づいたことは、今日訪問する先はアルザスの造り手であるという厳然たる事実であった。
比較的時間に大らかな、フランスという国にあって、アルザスは別、というジョークはしばしば耳にする。
嘘か本当か、大遅刻をしたためにアルザスの造り手との取引がなくなってしまったなんていうエピソードも聞いたことがある。
なんとか時間ぴったりにドメーヌに到着した時、案の定、ジャンは約束の時間の何時間も前に戻ってきていた。
これがフランスの他の地域だとなかなかこうはいかない。
そもそも、バカンスから帰ってくるその日にアポイントを入れてもらえることもないだろう。

アルザスはその歴史的背景からもフランスの中でも特異な文化を備えた地域であるように思う。
建物などの町並みもそこに暮らす人々の人柄もフランスの他の地域とは違った個性を放っている。
ヨーロッパが都市国家主体だった時代から、領域国家へと変容してくなかで、フランス語でアルザス=ロレーヌ地方と呼ばれるこの地は、フランスとドイツの間で揺れ動く数奇な運命をたどる地域となった。
一時はドイツの影響下に入り、また別のタイミングにはフランスの領域へと併合される。
そんな歴史を繰り返したアルザス=ロレーヌ地方は、フランス語とドイツ語の両方を話す人が多く暮らし、言語面でも文化面でもその両国の影響を大きく受けた特異な場所となった。
ことワインに関しても、フランスとドイツの双方の影響を感じるような、他の地域には無いアルザスならではのスタイルがあり、それがアルザスで生まれるワインの魅力となっている。
このアルザスの土地で、1584年からヴィニュロン(ブドウ栽培者・ワイン生産者)としての歴史を持っているのが、現在、若き当主ジャン・ドレフュスが担うドメーヌ・フィッシュバックだ。
しかし、その長い歴史とは裏腹に家族の歴史を継承し続けるというのは、非常に大変なことであったと言う。
当然ながら、ワイン造りはブドウ栽培だけで完結するわけではない。
収穫で得られたブドウをその気候風土を表現したワインへと昇華させるために、醸造という神秘的なプロセスを経て初めてワインとして生まれ変わる。
ところがこの醸造というプロセスは、非常に手間がかかりリスクも大きい。
そのため畑を所有していたとしても、自らワイン造りを担うというのは、誰しもにもできることではなかった。
ジャンの家族もアルザスの地に恵まれた条件のブドウ畑を所有していたが、近年は自分たちでワインづくりに取り組むことはなく、畑は貸し出されているのみだった。
ドメーヌ・フィッシュバックの歴史を再び再スタートさせたのが、ジャン・ドレフュスだ。
ジャンは、ブルゴーニュの醸造学校で学び、その後オーストラリアのワイナリーなどで働き始めた。
ある程度の仕事を任されるようになると、自信が理想とする自然環境に寄り添った栽培方法であり醸造方法を模索するようになった。
そして、満を持して生まれ故郷であるアルザスの地に戻り、契約期間が終わり少しずつ返却されてきた畑でブドウを栽培し、家族の歴史と誇りを備えたドメーヌ・フィッシュバックとしてのワイン造りを再開することになる。
再開するにあたって、彼が大切にしている価値観を体現すべく、自然派ワイン造りを採用した。
畑では化学肥料や除草剤などを用いず、ビオディナミを取り入れた有機栽培を実践している。
そのコンセプトは当然醸造所内にも持ち込まれ、 自然酵母による発酵を待ち、人間都合に味わいを調整するための添加物の類も用いない。
一部のワインには酸化防止剤としての亜硫酸塩を使用しているが、近年はこの酸化防止剤を一切添加しないワインも手掛けている。

ジャンに畑を案内してもらうと、辺り一帯の村々を見渡せる、見晴らしの良い丘の上のグランクリュの畑をはじめとして、多彩多様な土壌特性を備えた数々の畑に出会うことになる。
現在彼は、4haにおよぶ畑でブドウを栽培しているが、この畑はなんと21もの区画に分かれて存在していると言う。
小さな区画はわずか2aほどの面積しかなく、4haと言っても畑仕事に費やされる労力は膨大だと言う。
彼と一緒に畑を巡ると、ジャン自身がいかに家族の歴史を大切にしているかを感じることができる。
「このシルヴァネールは樹齢80年くらい、このピノ ノワールは、樹齢70年。
どれも第二次世界大戦が終わった直ぐ後に、祖父と祖母が2人で植えたものなんだ。」
1871年、プロイセン王国が普仏戦争でフランスを破り、アルザス=ロレーヌ地方を国土の一部として以来、わずか100年ほどの間に、この地は何度も戦火に見舞われた。
ドイツが第一次世界大戦で敗れると、アルザス=ロレーヌ地方は紆余曲折を経てフランス領となり、 ナチス・ドイツが第二次世界大戦で再びフランスを破って、首都パリを占領すると、同年8月7日、再度アルザス=ロレーヌ地方を自国に編入した。
そしてそのナチス・ドイツが敗北し、第二次世界対戦が終結したことで、現在の国境が定まった。
この戦火の傷跡は、ブドウ畑が広がる丘の上からドイツを望む方向に見える、別の丘に、今なお残された塹壕の跡などで見て取れる。
それは決して遠い昔の話ではなく、祖父母が生きた時代まで続いた悲劇であることをジャン・ドレフュスをはじめ、多くのアルザスの人が今も尚心に頂いていると感じる。
だからこそ家族の生きた証としてのブドウ畑を将来にわたって守り続け、ヴィニュロン(ブドウ栽培者・ワイン生産者)としての家族の歴史を途絶えさせないという強い意思が、ジャン ドレフュスを自然派ワインの造り手という困難な道を歩むことを決意させたのだと感じられる。
この極上のテロワールの畑に植わる高樹齢のブドウから生み出されるワインたちが、眩いばかりの表現力を放っているという事実は、暗い歴史を経て明るい未来の到来を予感させる何よりの希望だと思えてならない。

ドメーヌ・フィッシュバックのワインは、品種や造り方によらずどれも真っ直ぐな味わいと芯の強さを備えている。
決して浮かれることなく慎重に、それでいて決して曲げることのない強い信念を持ったジャン ドレフュスの人柄が、実に純粋にあらわれている。
アルザスの気候風土だけにとどまらず、その歴史すらも感じさせてくれるような。
人々の暮らしと大地の匂いを感じさせてくれるようなワインだと思う。

(インポーター様資料より)

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